葬儀式関連用語と解説

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そうせい(葬制)

葬儀の様式。わが国で古代から用いられてきた葬法は、主に風葬、土葬、火葬であり、水葬も時に行われた。これらは古代インドの四葬と呼ばれた葬制と一致している。四種類の葬法がかたちを違えて行われてきたことは、単一葬法を伝承する民族に比べて、わが国の文化の多様さをあらわしている。
 以上の四葬のほかにも、洞窟葬、鳥獣葬、樹上葬、台上葬、舟(しゅう)葬、ミイラ葬などがある。葬りかたによって分類すると、風葬、洞窟葬、鳥獣葬は、遺体を地上や洞窟内に横たえる方式であり、土葬、火葬は、地下に埋葬する方式である。さらに、樹上葬、台上葬は、地上からある高さに遺体を置いて葬り、舟葬と水葬は、海や川に遺体を流す方式である。風葬は、もっとも古い葬法であるが、死体放置からわずかに進歩したかたちである。沖縄の奄美諾島には、いまだに風葬の遺風が見られるといわれる。
 土葬は、火葬以前には、古代からもっともさかんに用いられた葬法であった。土中に穴を掘り、遺体を埋め、その上に塚をきずく方式や、人工の洞窟に埋めたりした。地中に埋葬するさいには、木製か陶製の棺に納める形式が多かった。江戸時代には、一般市民の間で、棺として早桶が使われた。早桶の場合、死者の体は、しゃがんだ姿勢になり屈葬の形式となった。伸展葬は、大体において、上流階級の人を葬るさいに用いられた。
 江戸時代の葬儀では土葬が常識で、火葬は、公卿など上流階級にある者の死にかぎられていた。現代では、土葬形式は減少する一方で、都市地区では行なわないのが一般であり、県によって土葬の適用範囲に差異がある。
 火葬が様式化したのは、奈良時代であり、仏教の影響が著しい。インドでは、極暑のため、死体がすぐ腐るので、火葬がさかんに行なわれた。釈尊も火葬にされている。インドにかぎらず、ヨーロッパの古代杜会では、土葬とともに火葬も広く行なわれた。葬制史の過程では火葬は、人工によって遺体を短時問に風化させる手段であり、焼却と骨上げが第一次葬となり、遺骨の埋葬が第二次葬となる。したがって、火葬は風葬の進化したかたちであり、今日の火葬形式は、それと土葬が合体した複合形式であるとの見方が強い。
 水葬については、棺のことを「フネ」、あるいは「ノリフネ」といい、入棺をオフネイリと称する地方があること、また葬儀世話役のことをフナウドとも呼称する地方がある。わが国の島国風土から考えれば、水葬があったのは当然といえる。特に熊野地方の一部では、水葬の一種である渡海浄土(死期が近づくと舟に乗せて流失させる)の習俗が広まっていた。

参考文献:「葬儀大事典」(鎌倉新書)  | yeohoo |