葬式。古くは、弔うことを「ほうる」とか、「ほからかす」(放棄する)と俗にいった。つまり、風葬に近い埋葬形式が一般であった。今日のように、葬儀が様式化した原因としては、仏教の発展に負うところが多い。僧が死者の冥福を祈り、葬列に参加するようになったのは、奈良時代からである。
また、野辺送りのあとで沐浴し、穢れを落す風習は早くからあったが、服喪の礼儀は、中国の習俗にならったもので、大化の律令制によって法制化し、穢れの思想と結ばれて普及した。葬式仏教の展開から見ると、鎌倉時代はエポックをなしている。しかし、葬儀様式は、身分の貴賎によって様々であった。近世中期ごろまでは、葬式を出すのは原則として当主、またはそれに準ずるものの死者にかぎられていた。それが寺院と民衆とのつながりが緊密になり、宝暦年間ごろには、早産による死児にまで戒名をつけるほどになった。
換言すると、仏葬がこの頃になって民衆の中に根をおろしてきた。総括的にいって葬儀は、棺前式と告別式、および野辺送り(葬送)の三段階に分けられる。その底流にある思想は、鎮魂と浄化である。鎮魂は、死霊(荒魂)の崇りを怖れることからの供養儀礼である。古代の殯(もがり)がその例である。その形式は、巫女の存在が大きかったように多分に呪術的である。今日も各地に残されている異様な葬儀習俗からも知られる。浄化思想は宗教的である。古来の神道に仏教が習合したことでいっそう儀礼化した。とともに、鎮魂よりも、死者の極楽往生をねがう浄化供養の儀礼が重んじられるようになった。反面、あまりにも様式化し、本来死者を哀悼する儀式である葬儀が、空疎な内容となったこともたしかである。
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