火葬(土葬)場へ行く葬列。遺族・親族をはじめ、一般会葬舎も参加する。現代では葬いも近代化し、火葬(土葬)場までは、主な関係者が、霊枢車に従いハイヤーに分乗して行く場合が多くなったが、辺境の町村ではまだ野辺送りを行なっている。
野辺送りは、自宅葬の場合が多い。その形式は、地方によって習俗をちがえているので一概にはいえないが、およそ次のとおり。葬列先頭には、先火と称される、高張提灯あるいは、松明(たいまつ)を持つ者が立つ。道案内、魔払い、送り火ともいう。次いで、散華という紅白に細かく刻んだ紙きれを入れた籠二つがつづく。行列の途中、紙片は道にふりまかれる。つづいて、町内会、村民会の旗や弔旗、花輪が順につづき、このあとに、蓮華花(紙製)を持つ者がつづく。さらに、諸供物(枕めし、水桶、香炉、その他の食物)を持ったお膳持ちがつづく。お膳持ちの後に、衆僧、導師、位牌持ち、天蓋持ち、棺の順になり、棺の後には、近親者の女性がつき、一般参列者はその後の最後尾につづく。 棺をかつぐのは、近親者か講中仲間、あるいは町内の組の者である。専門の棺かつぎを雇うこともある。位牌持ちは、相続人の役である。枕めしを持つのは、相続人の妻である場合が多い。位牌持ち、飯持ち、水桶持ち、香炉持ち、紙華(しかばな)持ち、天蓋持ちの六役を、葬列六役と俗にいっている。先頭の松明持ちを含めて七役ともいう。なお、お膳持ちには、幼児が加わることが多い。死者同様に、特定の人が頭部に白い布あるいは紙を付ける風習は、一般に知られる。喪服は、晒木綿の白衣が多く着用される。髪型や履物も、普段とは違える場合もある。
棺の前後に白布を伸べ、近親縁者の女性や子供がこれを引いて先導し、これを善の綱と呼ぶ地方もある。出立ちや、途中で葬列が旋回したり、不要な廻り道をする風習があるのは、死霊が後をつけてくるのをくらまそうという呪法の一種と考えられる。埋葬のさいに、棺の上に石を投げ入れてから土をおおうのも、同種の発想に基づいている。火葬や埋葬に使った用具を持ち帰らなかったり、帰途、他の家に立寄るのを忌む風習もある。江戸時代まで、野辺送りは夜しか行なえない掟があった。松明の役があるのはそのためである。また、野辺送りが始められたのは、鎌倉時代からである。
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